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武者絵の精紳(こころ) その26

2012/05/13 14:05

 

 

  【義経対面伊勢三郎】  小堀鞆音画伯

 

 

 

 

 

  小堀鞆音画伯が描くと、物語性の説明はもとより、緊迫感、抜き差しならない凛然、その場の気配、臨場感・・・ともかく、格調の高さがまず、前面に漲って参ります。

 

 

 このようなブログのささやかな映像ではとうてい現せない品格に満ち満ちているんです。

 

 残念、これだけしか伝わりませんが・・・・せめて細部を・・・

 

 

 

 

 

  伊勢の三郎の右足、義経の眼差し・・・・・良いでしょう!!?

 

 事実こんなことが正しく、あった!様な・・・・感じに観る者をうっとりさせてしまう! のであります。

 

 コノ天才にかかれば、歴史の捏造さえ自由自在??

 

 

 匠の技、そのものと言えましょう。

 

 

 

 

 

 

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武者絵の精紳(こころ) その25

2012/05/12 19:02

 

 

   【富士川大勝図】 竹内栖鳳

 

 

 

 

  いざ、イクサ! となると、

  平家方は、奢るばかりでテンデ話にもならない弱虫!!

 

  と、言った描かれ方が、この作品の例に止まらず、源平合戦への一般通念です。 

 

 鎌倉方の意表を突いた攻撃に大あわてするならまだしも、鳥の大群が飛び立つ音に驚いて、アワくって、逃げ出す!・・というブザマさ加減。

 

 全く、話になりません。

 

 

 

 

 細部をご覧いただきましょう。フンドシ一丁で逃げ出す者、女を踏み潰して我先に逃げる・・・・・・いやはや、残念。

 

 これほど、とは!!

 

 脚色も加わっている事は間違いありませんが、ソモソモの発想の始まりが、平家=悪玉。

 

 勧善懲悪、奢るもの久しからず、・・・・・諸行無常・・・・

 

 

 歴史は勝者が遺すもの、さて、本当の富士川の決戦は??

 

 事実あったのか? 

 

 本当は、どのようなものであったのでしょうか? 

 

 

 ★★★

 

 作者は、京都画壇の雄、竹内栖鳳であります。

 

 武者絵を描くような印象が少しもない作家で、達筆そのものの画風、画人生涯筆一管(がじんしょうがいふでいっかん)、として、 筆力雄渾なる絵師たる事を志した方です。

 

 この作品は若い頃のもので、腕試しと言うか、武者絵も研究してみた・・・といった感じ。

 

 物語の説明はお見事ですが、絵としての格調はそれほど高いものとも思われません。

 

 名人栖鳳は武者絵も描けた、と言う作例です。

 

 画面上左端の富士山が美しいですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

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武者絵の精紳(こころ) その24

2012/05/10 23:50

 

 

  戦の真っ最中に横笛を取りに戻って、そのために退却しそこねて、敵に討たれる・・・・・・なんとも・・・・・

 

 敦盛は、雅の典型ですが、彼一人に留まらず、実に日本人らしいモノノフが平家方には、キラ星の如くに割拠しておりました。

 

 だいたい、清盛からして、権力欲の権化であって、奢るもの久しからず・・・の代表とされていることも、額面道理には受け取れない面もあるのではないでしょうか。

 

 義経一人をヒーローに仕立て上げ、まるで天皇に反逆した事などないかのように鎌倉幕府が自身の正当性に利用した・・・・・・・・とも言えるでしょう。

 

 モノノフの本来の姿を忘れ、権力欲、征服欲、支配欲、等々に地道をあげ、武力をその為に使うのは、モノノフの風上にもおけぬ! 鬼畜の所業であります。

 

 鎌倉幕府は、後に、源氏の棟梁と言う旗印さえ抹殺し、北条という私欲団体のなすがままとなり、挙句に自滅してゆくのです。

 

 自己の欲望をひた隠しにして、在りもしない敵を作って、その相手を謗り、事実をすりかえ、結果日本そのものを食い物とする。

 

 まるで現在の民主党反日政権そのもの・・・・・

 

 背後のシナ、朝鮮、ロシアアメリカ、・・・反日外国の利益代表として、君臨しているのが現、民主党反日政権であります。

 

 義経を不世出のヒーローに仕立て上げた理由が、自己欲望の達成であった!?・・・・・のと同じく、今でも我々はアノ手、コノ手の撹乱情報に踊らされているのでしょう。

 

 

 

 いま一人、雅なる平家武者をご紹介いたします。

 

 横笛ならぬ、琵琶の名手。平経正(つねまさ)。

 

 北陸への従軍途中に、琵琶を奏でる為に、琵琶湖の竹生島へ参詣し、芸術の神様も感応された・・・・のだとか。

 

 総がかりの大軍の一方の頭であるのに、・・・

琵琶なんか奏でている場合でもないのに・・・・雅ですねー。

 

 もののあわれ!

 

 

 

 

 

 

 

 

   これも、小堀鞆音画伯の傑作の一つ。

 

   何回かこのブログでもご紹介いたしました。

 

 

  【経正竹生島詣】   何回見ても美しい!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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武者絵の精紳(こころ) その23

2012/05/07 21:01

 

 

 敦盛色々・・・・・

 

 先に【武者絵の精紳(こころ) その15】 で、少しお話した、平敦盛(たいらのあつもり)は、雅なる貴公子達の中でも、抜きん出て今に伝えらるる平家武者です。

 

 今日はこの敦盛の色々な表現をご覧いただきましょう。

 

 

 まずは、アップで・・・・・

 

 

 

 

 

 こちら、義経ではありませんヨ、・・一の谷の合戦で、横笛を取りにいった為に、舟に乗り遅れ、騎馬で海へ・・・・そこへ源氏方の熊谷直実に陸から呼び止められて、振り返る・・・・・

美しき公達姿・・・・・・。平敦盛。

 

 横笛の名手若干16歳、しかも数え年!・・・・うら若き美貌の超イケメン!! それはそれは、綺麗な若武者ぶりです。

 

 

 

 

 

 

 こちらも、別の合戦図屏風の一部。

 

 ちょっと似ていますが、別の作品です。熊谷直実が陸から“かえせ!戻せ!” と呼ばわっている光景が・・

 

 

 

 

 一の谷合戦図。とか、屋島の戦い図、とか、屏風仕立てで、きらびやかな合戦図が、もてはやされた時代がありまして、江戸時代前期から中期ぐらいなのですが、六曲一双とか、スケールの大きな戦争絵巻の大作が今でも遺されており、しかも、平家物語の哀歌をテーマとしたものが大半。

 

 平家物語の滅び行く平家方への愛惜が、如何に人心を捕らえ続けたかがよくわかるのです。

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ここまで描くか!? と言うほどの力作ぞろい!!

 

 

 

 

 

そして、この敦盛を武者姿ではなく、本来の貴公子として描いた作品がこれ。  菊池契月(きくちけいげつ)の作品です。

 

 

 

 

 なんと、笛を手に、少年の姿で・・・・・

 

 

 いかにも、雅・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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武者絵の精紳(こころ) その22

2012/05/06 09:53

 

 

 

 

  随分昔の絵で、やつれていて、見辛いですが・・・・どこかで見たような・・・・・??

 

 

 

 

 

 

 先回ご紹介した、小堀鞆音画伯の義経弓流し・・・・

 

 この二作、騎馬武者の形が・・・似ているでしょう?

 

勿論、地を走る騎馬像に対して、海の中。状況はまるで違うし、色彩の鮮やかさも雲泥の差だし・・・・

 

 しかし、騎馬武者の勇躍する美しい動きの一瞬を捉えた、その基本形が、実によく似ているのです。

 

 よーく、観察して下さい。

 

 

つまり、鞆音画伯は、古典作品を、よーーーっく、研究していたであろうことがよくわかるのであります。 

 

上の古びた作品は、【後三年合戦絵巻】の部分。

 

 

後三年合戦とは、陸奥守源義家(八幡太郎)が、出羽の豪族清原氏一族内の争いに乗じこれを滅ぼした戦い。前九年の役に続き永保3年(1083)より起こり、寛治元年(1087)、義家が清原家衡らの拠点・金沢柵を陥落し、奥州を平定した。
 

絵巻中の詞書は忠実に絵画化されており、反復する同一構図で戦闘や殺戮シーンは凄惨さを増し、金沢柵が次第に陥落していく様子が伝えられる。各巻末の奥書により詞書の筆者は、仲直(上巻)、持明院保脩(中巻)、世尊寺行忠(下巻)の3人、全巻の絵を飛騨守惟久が描いたことが知られるが、この絵師について詳細は不明。
 

 

 

 つまり、絵師のお名前はハッキリしているけれど、ドンナ人だったのかは何も記録が残っておらず、ただ、非常に格調の高い作柄であることは、専門家ならずとも、直ぐに感じるところ・・・

 

 勿論武者絵の第一人者、小堀鞆音画伯が、この傑作を研究しない筈はありません。

 

 騎馬武者の形態を義経の姿に用いた事は明らかです。

 

 和歌にも本歌取りと言うものがある様に、、古典の研究を元に、イニシエの絵師の意匠を学びながら、後世にその楽しさを伝えているわけです。

 

  目には見えない、現実にはもう見ることが出来ない武者姿を古典から学んだのですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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武者絵の精紳(こころ) その21

2012/05/05 09:33

 

 

 【義経弓流之図】  小堀鞆音  大正5年作

 

             

 

 小兵であった源義経は、弓も小さな作り、おせじにも強弓とは言えなかったようで・・・・海に投げ出された自分の弓を平家方が拾い上げて、その小さい、恥ずかしさ、がばれてしまわぬよう、危険を冒してまで落とした弓を取りに行く・・・・・

 

 というシーンを絵画化したものです。

 

 海の波表現が見事。

 

 北斎の波??の様・・・

 浮世絵風な表現が使われており、小堀鞆音画伯の研鑽の深さを改めて教えられる作品です。

 

 それにしても・・・・この義経の行動を美談とする、つまり、弱いところを敵に知らせないようにすることも大将としての立派なあり方である!!  と言う風潮=判官びいき、が世間にあって、こういう画題でさえ持てはやされたのでありましょう。 

 

人気者義経はナニをやっても絵になる!! っと、いうわけですね。

 

 

 

 

  赤と緑との対比が鮮烈。

 

  波しぶきのリアルな事・・・・。

 

 

 ヒーロー、アイドル、は、どんな時にもカッコイイ!!

 

  本人はタイヘン・・・・・ですね。

 

 

  馬のほうがタイヘンか?  そっぽ向いてますし・・・

 

  馬の顔を向こうに向けて、あえて描かなかったのは、義経の心理状態を表す顔に視点が集中する様、作為したから・・・?と思われます。

 

 

 

 

 

 

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第96回院展は北九州巡廻中です

2012/05/04 09:00

 

 

 第96回院展  北九州展

 

 平成24年4月13日(金)~5月6日(日)(24日間)

 会場/北九州市立美術館分館

 

 

 

 

     【弟橘媛】 (おとたちばなひめ)

 

 

 古事記のヒーロー、ヤマトタケルノミコトが安全に航海出来るよう、海の神に身を捧げて、誠を尽くした姫君です。

 

 親王殿下であるのに、その気性の荒さを嫌気され、次々に困難な使命を与えられ、日本中を戦に明け暮れた、悲劇のヒーロー、ヤマトタケルを支えた。と言う事で、多くの人に慕われています。

 

 正に今、海中に身を投げ打って、ミコトの無事を祈る姿・・・・・

 

 

 

 

 

 

  院展は、毎年9月1日に上野の東京都美術館で開催されてきました。昨年と一昨年は、都の美術館が改装されるために、臨時に日本橋三越での開催と成りましたが、今年から再び、上野に戻ります。

 

 同人・・・・審査員、の作品は、大きさの制限があまりありません。 二年間臨時開催だった為、思うような大きさの作品が描けなかった?のですが、今年はきっと、鬱憤を晴らす大作が陳列されることになりましょう。

 

 春の院展は、小規模な院展。

 

 大きさも一メートル四方くらいまで、と、制限が小さいのです。

それに引きかえ、秋の本展は一般出品者でも、150号サイズまでですから、かなり楽しめる??わけです。

 

 春、秋、双方、全国に巡廻するので、春の院展が、夏に開催される事もあります。

 

 

 どうぞ、ご高覧宜しくお願い致します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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武者絵の精紳(こころ) その20

2012/05/03 09:00

 

 

  【維盛出陣図】 (これもりしゅつじんず)  小堀鞆音作

 

 

 

 

 

 

 “平 維盛(たいら の これもり)は、平安時代末期の平家一門の武将。平清盛の嫡孫で、 平重盛の嫡男。”

 

 正真正銘、・・・・・

 

 “平氏一門の嫡流であり、美貌の貴公子として宮廷にある時には光源氏 の再来と称された。

 治承・寿永の乱において大将軍として出陣するが、富士川の戦い・倶利伽羅峠の戦いの二大決戦で壊滅的な敗北を喫する。父の早世もあって一門の中では孤立気味であり、平氏一門が都を落ちたのちに戦線を離脱、那智の沖で入水自殺した。 ”

 

 と言われています。

 

 

安元2年(1176年)3月4日、後白河法皇50歳の祝賀で、烏帽子に桜の枝、梅の枝を挿して「青海波」を舞い、その美しさから桜梅少将と呼ばれる。青海波の様子は『玉葉』や『安元御賀日記』などにも詳細に記されており、臨席した四条隆房はその様子を、

 

「維盛少将出でて落蹲(らくそん)入綾をまふ、青色のうえのきぬ、すほうのうへの袴にはへたる顔の色、おももち、けしき、あたり匂いみち、みる人ただならず、心にくくなつかしきさまは、かざしの桜にぞことならぬ」

と書いている。また『建礼門院右京大夫集』ではその姿を光源氏にたとえている。さらに平家を嫌う九条兼実も「容顔美麗、尤も歎美するに足る」と評している。

 

 

 事実、雅やかな、公達の代表格であったのでしょう。

 

 この図は、ソンナ優しい貴族とその家族の離別の悲しみを表現しています。

 

 坂東武者が、正直で男らしく描かれているのとは対照的。

 

 なよなよと、ヤワで、頼りない感じが、維盛の少将の特質とされてきたのです。

 

 実際の所はどのような人であったのでしょうか?

 

 ホントに、弱弱しい、役立たずの大将だったのでしょうか・・・

 少なくとも勝者からは、弱虫!と決め付けられてしまったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  悪七兵衛景清の、勇猛さからはおよそ対極であったのは確かな事であったかもしれません。その絵にしにくい平 維盛をあえて題材としたのは、まだお若い頃の“武者絵の第一人者”小堀鞆音画伯です。

 

 小堀桂一郎先生は、鞆音画伯の嫡孫に当たられます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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春の院展 秋田に巡回中です。

2012/05/02 09:40

 

  

第67回春の院展 秋田展開催中

 

 4月25日(水)~5月6日(日)(12日間)
会場 : 秋田県総合生活文化会館
    (アトリオン)


 

 

   

 天山作品は・・・・・・

   【なよ竹のかぐや姫】  第67回春の院展出品作品です。

 

 

  ≪ 作者コメント ≫

 

 “かぐや姫”は、実在の女性であります。

 何しろ“華なること世になく、屋の内は暗き処なく光満ちたる”

限りなき美しさ。とか・・・・

 

 我が物にしようと言い寄って来た貴公子達は、いずれも玉砕。 この四人は実名で登場しますから、史実も含まれていることがうかがい知れるのです。

 

 それにしても、何と素晴らしいファンタジーでしょう!

 

 竹の中から輝くばかりに生まれ出で、人々の憧れを一身にあびて、あっという間に月の世界に帰ってしまうなんて・・・・

 

 美しいと言う事はすべてがゆるされる?

 

 全てを許してしまうなら・・・・十二単を着せ、もはや天空に舞い上がり、輝く星座となってしまわれた、限りなく美しき、【なよ竹のかぐや姫】様を描いてみまたのです。

       

  また、傑作が出来てしまいました・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

    お顔の部分です・・・

 

 

 

  全国巡回始まりました。お近くで・・・・ご高覧下さい。

  http://nihonbijutsuin.or.jp/ 詳しくはこちらへ・・

 

 

 

 

 

 

 

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武者絵の精紳(こころ) その19

2012/05/01 11:45

 

 

 

 

 

 

 

 

 

平家物語の悲哀。

 

 田舎者の坂東武者によって日本文化が蹴散らされてしまった事への哀歌が謡曲として・・・ 

 

 ≪勝者の歴史≫、に物申す、・・・世阿弥の真骨頂を・・・

 

  第41回桃々会拝見しました。

 

 関根祥六師による【景清】

 

 それは素晴らしい芸の力でした・・・

 世阿弥がいたら、黙って、うなづいたでしょう!

 

 

 

★★★

 

 【大佛供養】というお能でも、若き日の景清が描かれています。

 

 平家が滅んで間もなく、政権を握った頼朝が、奈良の大仏の開眼供養に詣でる、という情報を得た景清は、奈良に住む母の元を訪れた後に、単身で、頼朝を討とうと・・・・・

 

 既に滅んだ平家の為、“無駄死に”、の様であるのに・・・勇者悪七兵衛景清は、頼朝を執拗に付け狙うのでした。

 

 しかし、とうとう捕まって遠流。

 

 宮崎へされ、年老いて、盲目となったところから、謡曲【景清】が始まるのです。

 

  【大佛供養】と、【景清】と、二段構えで、歴史の真実を謡おうとした世阿弥。

 

 敗者の側に立つ、というモノノフの心そのままに・・・

 

 

 消えぬ便りも風なれば。消えぬ便りも風なれば。

  

 露の身如何になりぬらん

 

 

 人丸、と言う名の景清の娘が、老いた流浪の父を慕って、鎌倉から日向の国、宮崎へ、・・・・・

 

 

 相模の国を立ち出でて。

 

 誰に行方を遠江 げに遠き江に旅舟の。

 

 三河に渡す八橋の。雲居の都何時かさて仮寝の夢に。

 

 馴れて見ん仮寝の夢に馴れて見ん

 

 

宮崎に着いて、ある藁屋に居る盲目の乞食に景清のことを尋ねると、知らぬと答える。そこで今度は里人に尋ねると、先の乞食が父であるということがわかる・・・

 

 有名な、松門の出・・・・・・

 

 

 松門独り閉じて年月を送り。

 

 みずから清光を見ざれば。時の移るをも。弁えず。

 

 暗々たる庵室に徒に眠り。衣寒暖に与えざれば。

 

 膚はギョウ骨と衰えたり

 

 

 見る影もナク老いさらばえたわが身・・・・遠路はるばる訪れてきた娘に・・・・流刑者の身であるし

 

・・・・自分であることを、子の為を思って隠そうとするのですね。

 

 

 声をば聞けど面影を見ぬ盲目ぞ悲しき。

 

 名乗らで過ぎし心こそなかなか親の絆なれ

 

 なかなか親の絆なれ

  

 景清は両眼盲ひましまして。せん方なさに髪をおろし。

 

 日向の勾当と名を附き給ひ。命をば旅人を頼み。

 

 我等如きものの憐れみを以って身命を御つぎそうろうが

 

 昔に引きかえたる御有様を恥じ申されて。

 

 御名乗りなきと推量申してそうろう。

 

 

 

 里人は、父に会いたがっている人丸を哀れに思い、連れて来て景清に対面させると、景清も今度は拒む事もナク、心中を明かします。

 

 乞われるままに屋島の戦いでの武勇の思い出を語り・・・

 

 

 一門の舟の中。一門の舟の中に肩をならべ膝を組みて。

 

 所狭く澄む月の景清は誰よりも御座舟になくてかなふまじ。

 

 一類その以下武略さまざまに多けれど。

 

 名を取り舵の舟に乗せ。主従隔てなかりしは。

 

 さも羨まれたりし身の。

 

 麒麟も老いぬれば駑馬に劣るが如くなり。

 

 

 いでその頃は寿永三年三月下旬の事なりしに。

 

 平家は舟源氏は陸。

 

 両陣を海岸に張って。互いに勝負を決せんと欲す。

 

 能登の守教経宣ふよう。(のりつねのたまうよう)

 

 去年播磨の室山。備中の水島鵯越に至まで。

 

 一度も味方の利無かつし事。

 

 偏に義経が謀計いみじきに因ってなり。

 

 如何にもして九郎を討たん。謀計こそあらまほしけれと宣へば

 

 景清心に思ふやう。

 

 判官なればとて鬼神にてもあらばこそ。

 

 命を捨てば易かりなんと思ひ。

 

 教経に最後の暇乞ひ。陸に上がれば源氏の兵。

 

 あますまじとて駈け向かふ・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 語り終えて、娘、人丸に、我が亡き後の回向を頼み、故郷へ帰らせたのでした。

 

 勇者の悲惨な末路を描く事で、歴史の真実、人の心の普遍性をさり気なく謳うよう、脚色された、名曲。

 

 重習いと言って、相当な熟練を要求される謡であります。

 

 お家元、観世清和師の仕舞、頼政も圧巻! 

 

 祥六師の嫡孫祥丸君の小鍛冶、・・・・春疾風を見る様に鮮烈でした。

 

 

 

 モノノフの心・ いつか景清をテーマにして、武者絵を私も描きたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

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