古事記、日本書紀、などとは別に、
現在の学会ではその存在自体が“まやかし”、と決め付けられている【古史古伝】が、幾つも存在しています。
『上記(うえつふみ)』
『竹内文書』
『秀真伝(ほつまつたえ)』
『宮下文書』(富士文献)
『九鬼(くかみ)文書』
『東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)』
『先代旧事本紀大成経(せんだいくじほんぎたいせいきょう)』
『物部文書』
等々・・・・・
そして【神代文字】の存在も、学会では全否定されてしまっていますが、熱心に研究する人は大勢居るし、後を絶つこともない。
それら古史古伝や、神代文字研究がカルト宗教などに利用される場合も良くあり、そのあたりで胡散臭い感じがしてしまうこともありましょう。
けれども、源氏物語一つとってみても、
成立したであろう平安時代からつい数百年前までは文字を持たずに幼稚な土器しかなく、穴居生活がずーっと続いていた日本であったはずだったのが、外来の文化をいただけるようになったとたんに、世界に類例のない文学作品を産んだ・・・・・・ことになっていて・・・
こんな、ばかばかしいにも程がある創造力に欠けた歴史観が、現在の学会の基準になっているのですから、・・・・・そのほうが、むしろ、メチャクチャ不自然。
その不自然な史観に立って我々日本人は教育され続けて来たのだから、全くナンと言っていいか解らないくらい真実が覆われているオカシナ現代日本。ナンであります・・・・
ドウ考えたって・・・子供にもわかる理屈だと私は思うのですが。もののあはれの粋を集めた源氏物語が生まれる土壌ははるか昔から日本人は持っていた・・・と、考えるのがごく当たり前、で、漢字以前に日本文字があったのはむしろ必然。
と、私は思います。・・・・が、
思う。だけでは学会の定説を覆すことは、無論、出来ない・・・・様になっていて、難しいことを言い出すのも嫌われるし、相手にもされなくなるし、大声張り上げると馬鹿にされたり邪魔者扱いされるから、本当のことがますますいい加減に扱われて、・・・悪意に満ちた歴史の捏造、は、延々と続けられて来たのですね。
歴史とは勝者の物。時の権力によって同じ事跡も違う捉え方で流布されるもの。事実あったことも、ないことも、ご都合次第。
嘘も100回言えば、真実らしく見えてくる・・・で自虐史観すらも簡単に信じさせられてしまった・・・と言うわけです。
主なる原因はそれで・・・現在の混沌日本になってしまった・・・食料の自給も出来ず、自前エネルギーも作れず、外国の軍事基地があるのに自分の国が独立していると勘違いしている国民が大半を占めている・・・
前回申し上げました伊勢神宮御正殿真下に埋められている【心御柱】
についても、何か肝心な真実が隠されていると観るべきだと思うのです。
我々の創造力の欠如がその存在理由を隠している。と観るべきでありましょう。
事実、古史古伝には現在の伊勢神宮よりもずっと前に、伊雑宮で天照大神は祀られていた・・・・とある。
現在は伊勢神宮の別宮となって、伊勢神宮の一部と見なされている伊雑宮こそ天照大神が祀られていた。
・・・・と記されているのです。
後の時代に、そのことで伊勢神宮の神官と伊雑宮の神官との間に争いが生じたと言う事実さえある・・・
私は絵の取材のために方々へ写生に行く。気に入った場所で一般の方がやらない定点観測をする。・・・何時間も座り込んで写生するのですから、普通の人が気付かないことも解る時がある。
瀬戸内海の大三島という島に、それは古い神社があり国宝の鎧兜の蒐集品で名高い神社です・・・境内に素晴らしく大きな楠木が繁っています。大人が両手を伸ばして何人も手をつないでもまだ届きそうもないくらいの根周りで、それはそれは、太く大きく立派、・・・・・・だが、少し脇のほうに
古い巨大な木の株、と言うか、もう、ウロに成り果てた古株が存在し、その繁っている楠木よりもずーーーーっと大きく、古いことが良くわかります。
つまり、神社というのはドレくらい前から存在して来たのか事実はわからないことのほうが多くて、少なくとも文献か何かで確認できた処が発祥の時点と、堂々と言えるので、従って、そう言ってる。だけ・・・・・・でありまして。ホントのところは誰もわからない。
が、境内の木には嘘はありません。
古木があれば、少なくともその木が生まれた頃にはもうその神社は立派に存在していたと見ることができるのであります。
大三島神社にはその巨木が立派に繁り、脇にはさらに立派であったらしきその先代が遺されている。
つまり、健全な創造力を普通に働かせれば、先代の木があるならば、先々代もあるいは?あったかもしれない・・・のであって、例え文献としては残っていなくとも、先々代の先々代さえあったかも?知れないのであります。・・・・・ね。
学問は人類に利益を産むだけではなく、限界を作ってしまう場合があるようで、・・・・そこへゆくと、私のやってる絵などは、取るに足らない妄想の、夢追人・・・でしかありませんが。スケッチをして観察をすると上辺の虚像だけではない真実が推測できる場合が、たまには、あるんです。
実は、伊雑宮にも、いつからあるのかちょっと想像できないくらい古い、もはやウロになってしまった古株が現存している。
もう朽ちてしまっているが、あまりのデカさに風化してしまうこともならずに残っている。
この事は何を意味するのでしょうか・・・・?
そもそも、学会でも認められている古事記、日本書紀、に書いてある同床共殿の神勅が立派に存在しているにもかかわらず、御鏡は陛下と共にではなく、伊勢神宮に祀られているという事実は???
いったい・・・なぜ???
疑問は尽きません。
by tenzan
現代の大和絵 “ わが師 今…