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伊勢神宮奉納記念展  その12

2013/05/06 09:46

 

 

 伊勢神宮奉納絵巻画初式

 

 

本制作に当たって、【浄明正直】をもって描ききることができます様、アトリエを清めて、描き初め式をして頂きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

古式ゆかしい祭祀です。

 

祭典名は「伊勢神宮奉納絵巻画初式(いせじんぐうほうのうえまきえがきぞめしき)」

 


祭典執行にあたり、前日よりの沐浴斎戒の上、潔斎の後、斎服を著けて厳修下さったのは陰陽会陰陽頭の舊事希軍(くじまれとき)先生です。

 

 

 

 

 

 

 

天皇陛下が御親拝される御宮に絵巻を奉納させて頂く、事を念頭に入れて、
浄(きよ)く明(あか)く、正しく、直(なお)く、と云う誠を以て描いて下さい。・・・・との教示を戴きました。

 

 

 

 

現在、祭典執行から絵巻御奉納までの間、穢れを避ける為に、アトリエ内四隅と出入り口に注連縄を張り巡らせております。(蛇足でありますが・・・・全く、カルト宗教とは関係ありません)

 

 

お陰様で順調に制作は進んでいます。

 

順次、経過報告して参ります。

 

 

 

 

 

神宮への奉仕をされる方はすべて白衣、・・・・・私も、

白衣、白袴での製作を目指します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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伊勢神宮奉納記念展  その11

2013/05/05 22:08

 

  ★式年遷宮の起源  

 

 

コチラは、 田中卓(たなかたかし)著「神宮の創祀と発展」昭和三十四年刊行、より抜粋したものです。ご参考までに・・・・・

 

 

 

神宮においては、二十年に一度、諸殿舎の造替を行ひ、新殿の造営を俟って、御神体を旧殿より遷座せられる儀式がある。

 

これを式年遷宮といふのであって、古来、神宮にとっては、もっとも重要な祭儀とせられてゐるが、神宮のみならず、日本国家においても、これは頗る深刻な意義を持つ祭典であった。

 

すなはち、式年遷宮は、つねに国家の総力、精神的にも物質的にも、すべての力をささげて遂行せられるのを例としてをり、従って、これは、日本国家の盛衰と運命をともにするものに他ならない。

 

されば、前後一千二百余年の間、よく五十八回にわたる遷宮を重ね来つたのであるが、その間、永享、寛正より永禄、天正にいたる一百二十余年は、いはゆる戦国乱離の世の中であって、国家の秩序立たず、権威失はれて、それがため、遂に式年遷宮も中断せられる有様であった。

 

かやうに、日本国家の盛衰と運命を共にし来つた式年遷宮の制が、いまや、未曽有の敗戦を迎へて、どのやうな結果を示すであろうかと、案ぜられたが、昭和二十八年、きびしい逆境の中にも屈せず、神宮の式年遷宮は、神宮当局の努力と多数の国民の奉賛により盛大に執り行はれた

 

かくして、持統天皇の御代以来、五十九回といふ遷宮の伝統は、見事に継承せられたのである。これは、日本国の精神的支柱いまだ倒れざる証左であり、国家再興の衰へざる力を如実に示すものに他ならないと思はれる。

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

★持統天皇の四年を第一回式年遷宮とする。筆者のあとがきには・・・

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

特に社家や神道の家に生まれたわけでもない私が、おほけなくも、「神宮の創祀と発展」と題する研究をまとめ、しかも、それを神宮司庁より、「神宮教養叢書」の一冊として公刊していただくことは、身に余る光栄といふほかなない。

 

しかし、思へば、歴史を学ぶの本領は、国家の栄枯、民族の盛衰をさぐるにあり、而して国家民族の栄枯盛衰をさぐろうとすれば、まづ、民族固有の伝統的精神を明らかにせねばならないであらう。

 

昭和二十年、敗戦といふ未曽有の厄難に際会し、それと、時と同じうして学窓をいでた私は世の大いなる動揺と、新奇にはしる言説を、眼に見、耳に聞きながら、苦難重畳する祖国の前途を卜すべく、想ひを遥かにわが国の上古史にひそめたのであった。

 

爾来、歳月は流れて十有余年、魯鈍の身の、学びえたるところは頗る乏しいものであったが、しかし、ただ一つ、重大なる確信を得た。

 

それは、偏見を去って公明に歴史をかへりみるかぎり、敬神と尊皇の思想こそ、まさしく国史を貫く伝統的精神なりと信ぜられること、これである。

 

殊に神祇思想こそはわが民族固有の信仰であり、これを理解することなしに、日本の歴史を論ずることは、たとへばキリスト教を知らずして西洋史を説くに等しく、木に縁りて魚を求むの類といふべきであらう。

 

元来、神社に縁なき私の、神祇史に深き関心をいだいた理由は、実にこの点にあった。・・・・後略

 

 

 

 

終戦とすべきところを敗戦としたり、女系天皇容認を掲げるなど........

私には賛同しかねる昨今の筆者ですが、この書出版当時50年以上前になりますが、この初々しい心情 には大いに共感すべきところがあります。

学者さんは、理屈が多くて結局ご自分が理屈に囚われやすいもの・・・、画家が重箱の隅をつつくような写実に囚われるのとよく 似ていますので、細部は省かせていただきます。悪しからず・・・・・ご容赦を・・・・・・・・が、

 

神祇思想、というか祭祀そのものが日本の根幹であること。・・・これは確かです!!

 

 

神道を宗教の中に取り込んじゃった現在の制度感覚からするとちょっとわかりにくい。

 

日本にまだ仏教以下、宗教なるものが入り込んでいない健全な時代を基準とすると良くわかってくるのです。

 

 

が、それでも良くは分らないのが式年遷宮の起源です。

 

日本人特有の神祇思想が母体となっていることは間違いないのですが。・・・・・・

古事記に表されている天の岩戸開きの故事を誰かが演出した?・・・様に、20年に一度の遷宮制度を産んだ、

あらゆるものを超越した≪ウツワの違う≫、ダントツの識者が居た。・・・・・・・のかも知れません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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伊勢神宮奉納記念展  その10

2013/05/04 13:42

 

 古事記、日本書紀、などとは別に、

現在の学会ではその存在自体が“まやかし”、と決め付けられている【古史古伝】が、幾つも存在しています。

 

   『上記(うえつふみ)』

 

 

   『竹内文書』

 

 

   『秀真伝(ほつまつたえ)』

 

 

   『宮下文書』(富士文献)

 

 

   『九鬼(くかみ)文書』

 

 

   『東日外三郡誌(つがるそとさんぐんし)』

 

 

   『先代旧事本紀大成経(せんだいくじほんぎたいせいきょう)』

 

 

   『物部文書』

 

   等々・・・・・

 

そして【神代文字】の存在も、学会では全否定されてしまっていますが、熱心に研究する人は大勢居るし、後を絶つこともない。

 

それら古史古伝や、神代文字研究がカルト宗教などに利用される場合も良くあり、そのあたりで胡散臭い感じがしてしまうこともありましょう。

 

けれども、源氏物語一つとってみても、

 

成立したであろう平安時代からつい数百年前までは文字を持たずに幼稚な土器しかなく、穴居生活がずーっと続いていた日本であったはずだったのが、外来の文化をいただけるようになったとたんに、世界に類例のない文学作品を産んだ・・・・・・ことになっていて・・・

 

こんな、ばかばかしいにも程がある創造力に欠けた歴史観が、現在の学会の基準になっているのですから、・・・・・そのほうが、むしろ、メチャクチャ不自然。

 

その不自然な史観に立って我々日本人は教育され続けて来たのだから、全くナンと言っていいか解らないくらい真実が覆われているオカシナ現代日本。ナンであります・・・・

 

ドウ考えたって・・・子供にもわかる理屈だと私は思うのですが。もののあはれの粋を集めた源氏物語が生まれる土壌ははるか昔から日本人は持っていた・・・と、考えるのがごく当たり前、で、漢字以前に日本文字があったのはむしろ必然。

 

と、私は思います。・・・・が、

 

思う。だけでは学会の定説を覆すことは、無論、出来ない・・・・様になっていて、難しいことを言い出すのも嫌われるし、相手にもされなくなるし、大声張り上げると馬鹿にされたり邪魔者扱いされるから、本当のことがますますいい加減に扱われて、・・・悪意に満ちた歴史の捏造、は、延々と続けられて来たのですね。

 

歴史とは勝者の物。時の権力によって同じ事跡も違う捉え方で流布されるもの。事実あったことも、ないことも、ご都合次第。

 

嘘も100回言えば、真実らしく見えてくる・・・で自虐史観すらも簡単に信じさせられてしまった・・・と言うわけです。

 

 

主なる原因はそれで・・・現在の混沌日本になってしまった・・・食料の自給も出来ず、自前エネルギーも作れず、外国の軍事基地があるのに自分の国が独立していると勘違いしている国民が大半を占めている・・・

 

 

 

前回申し上げました伊勢神宮御正殿真下に埋められている【心御柱】

についても、何か肝心な真実が隠されていると観るべきだと思うのです。

 

我々の創造力の欠如がその存在理由を隠している。と観るべきでありましょう。

 

事実、古史古伝には現在の伊勢神宮よりもずっと前に、伊雑宮で天照大神は祀られていた・・・・とある。

 

現在は伊勢神宮の別宮となって、伊勢神宮の一部と見なされている伊雑宮こそ天照大神が祀られていた。

・・・・と記されているのです。

 

後の時代に、そのことで伊勢神宮の神官と伊雑宮の神官との間に争いが生じたと言う事実さえある・・・

 

 

私は絵の取材のために方々へ写生に行く。気に入った場所で一般の方がやらない定点観測をする。・・・何時間も座り込んで写生するのですから、普通の人が気付かないことも解る時がある。

 

瀬戸内海の大三島という島に、それは古い神社があり国宝の鎧兜の蒐集品で名高い神社です・・・境内に素晴らしく大きな楠木が繁っています。大人が両手を伸ばして何人も手をつないでもまだ届きそうもないくらいの根周りで、それはそれは、太く大きく立派、・・・・・・だが、少し脇のほうに

古い巨大な木の株、と言うか、もう、ウロに成り果てた古株が存在し、その繁っている楠木よりもずーーーーっと大きく、古いことが良くわかります。

 

つまり、神社というのはドレくらい前から存在して来たのか事実はわからないことのほうが多くて、少なくとも文献か何かで確認できた処が発祥の時点と、堂々と言えるので、従って、そう言ってる。だけ・・・・・・でありまして。ホントのところは誰もわからない。

 

が、境内の木には嘘はありません。

 

古木があれば、少なくともその木が生まれた頃にはもうその神社は立派に存在していたと見ることができるのであります。

 

大三島神社にはその巨木が立派に繁り、脇にはさらに立派であったらしきその先代が遺されている。

 

つまり、健全な創造力を普通に働かせれば、先代の木があるならば、先々代もあるいは?あったかもしれない・・・のであって、例え文献としては残っていなくとも、先々代の先々代さえあったかも?知れないのであります。・・・・・ね。

 

 学問は人類に利益を産むだけではなく、限界を作ってしまう場合があるようで、・・・・そこへゆくと、私のやってる絵などは、取るに足らない妄想の、夢追人・・・でしかありませんが。スケッチをして観察をすると上辺の虚像だけではない真実が推測できる場合が、たまには、あるんです。

 

実は、伊雑宮にも、いつからあるのかちょっと想像できないくらい古い、もはやウロになってしまった古株が現存している。

 

もう朽ちてしまっているが、あまりのデカさに風化してしまうこともならずに残っている。

 

この事は何を意味するのでしょうか・・・・?

 

 

 

そもそも、学会でも認められている古事記、日本書紀、に書いてある同床共殿の神勅が立派に存在しているにもかかわらず、御鏡は陛下と共にではなく、伊勢神宮に祀られているという事実は???

 

いったい・・・なぜ???

 

疑問は尽きません。

 

 

 

 

 

 

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伊勢神宮奉納記念展  その9

2013/05/03 05:09

 

 

【心御柱(しんのみはしら)】

 

 

 

 

 

 

 

    

 

 

  覆屋の中には?・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  外宮にも・・・・

 

 

 

心御柱は忌柱とも言い、御正殿の大床下中央に地中深く建てられる御柱のこと。

 

 

八咫鏡(やたのかがみ)と呼ばれる神鏡を奉斎する御正殿はこの御柱の真上に造営されるのです。

 

此之鏡専為我御魂如拝吾前伊都岐奉・・・・これのかがみは、もはらあがみたまとして、あがみまへをいつくがごと、いつきまつりたまへ】・・・古事記より

云わば、天照大御神様の御霊代(みつえしろ)としての御鏡。

・・・・・・・・勿論、三種の神器。

 

同床共殿の神勅との関係は如何に??

 

心、とは真ん中の意味?・・・とにかく、・・・・これを重んじて尊称している事は確かであります。

 

“柱立”を大切にして、これを家の鎮とも国の鎮とも褒め称えて来たことも、皇国の上代からの尊き伝統であります。

 

 

木本祭に忌部氏が奉仕するという伝統も、・・・・・

 

古事記にある通り高天原に天津神として天照大神様に仕えて居られた太玉命(ふとたまのみこと)が、後に

天孫邇邇芸命(てんそんににぎのみこと)に随って降臨され忌部氏の祖先となったという由来を考えれば、当然の事であると言えましょう。

 

 

・・・・・ちなみに「織田信長公」は、忌部氏の末裔である説が濃厚であります。式年遷宮が室町幕府の横暴に因って途絶えたのを回復させたことを考えればこれまた当然の事と言えるでしょう。・・・・・

 

 

心御柱については必ず忌部氏の代理が奉仕する。と定まっていることは、畏れ多い、床しい事でありまして、・・・

 

その昔、忌部広成が、古語拾遺に於いて、神宮皇居の御造営に携わることを家門の誉れとして、これを神代の職とし、誇りを矜持していた・・・・・それが代ながらも、今、に継承されているのであります。

 

 

心御柱が何を意味するのかさまざまな憶測、がなされてきた様ですが、私の知るところ、直接奉仕された経験を持つ神官は・・・

 

「口にするのも畏れ多い」・・・・・。

 

文字通り、命がけの御奉仕です・・・

 

事実、過去に携わったご奉仕の方々は・・

 

 

 

 

 

 それは、何を意味するのでしょう・・・・???

 

 

 

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伊勢神宮奉納記念展  その8

2013/05/02 09:41

 

 

 【木本祭】  (このもとさい)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このお祭りは中祭となっていますが、(山口祭などは大祭扱いです)、大変由緒深いお祭りであります。

 

造営御料材の採始行事として、心御柱(しんのみはしら)の御料材を先ず始めに採取する・・・、

についての祭りであります。

 

延喜式には【採正殿心柱祭】(さいしょうでんしんちゅうさい)と称していました。

 

このことからも、重々しさが感じられます。が、

 

心御柱の御料材は、神路山の御(みそま)で採るのが習わし、・・・古は造神宮使の職に忌部姓の人が居て、この御料材採始の祭儀に当たったそうですが、中世になって神宮にその代職を置くようになり神宮側の職員だけで行うという古例が守られています。

 

 山口祭の夜に祭場で童男により御木伐採の行事奉仕がなされるなど、大変重要視され、厳重な祭儀として行われているのです。

 

 

 ★祭式

 

 

午後八時。奉仕員参進正宮参拝の後、祭物を奉じて山中に入り、祭場修抜の上、御木の本に祭物を供して御木の神を祭る、

 

五色の幣を始め、神への供物は山口祭と全く同じです。

 

次いで童男が忌斧で御木を伐り、忌部代の神官がこれを白布包み、清筵(きよむしろ)清薦(きよこも)を纏(まと)って大切に両手で(頭より上に)かき上げ奉って【奉カクと言う】、宮域に運びいれ、御稲御倉(みしねのみくら)に奉納。

 

御柱を奉立するまで、この御倉にとどめ置かれるのです。

 

 

 

 

 

 

 

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伊勢神宮奉納記念展  その7

2013/05/01 13:27

 

 

山口祭の当日深夜には、【木本祭】(このもとさい)が行われます。

 

 

 

 

 

 

 

物忌(ものいみ)、と称する子供が忌斧(いみおの)を執って御料木奉伐の儀を行います。

 

 

新宮の御床下に奉献する【心御柱】(しんのみはしら)の御料材を伐採するにあたって、御木の木の本に坐す神様をお祭りします。

深夜、山中で行われる秘祭り。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【木本祭】(このもとさい)


御奉伐された御料木は、新宮殿完成まで内宮では御稲御倉(みしねのみくら)、外宮では外幣殿(げへいでん)に安置されます。

 

 

 

【心御柱】(しんのみはしら)

については、色々と言い伝えがある様ですが・・・
これを奉祭する奉仕担当者は、
ホントに特別な決意で望むのが習わし・・・・・

旧御敷地には、【心御柱】(しんのみはしら)用の祠が常備されます・・・・深い意味が込められているんです!!

 

 

 

 

 

 

 

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伊勢神宮奉納記念展  その6

2013/04/30 15:43

 

【山口祭】

 

御造営用材を伐採する御杣山(みそまやま)の山の口に坐す神をお祭りします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

山口祭は、式年遷宮御造営祭中最初に行われる祭りです。

 

御造営材を伐採するについて、御杣山(みそまやま)の山口の神を祭る祭祀であります。

 

一般の御料材を採る御杣山(みそまやま)は、その都度御治定になるのですが、皇大神宮にあっては、神路山、豊受大神宮では、高倉山、が原始的不変の御杣山(みそまやま)とせられ、御料材中、最も大切な特殊材、心御柱の御料材は、この御山から採られるのが御例となっています。

 

その為にこの祭りは各々この原始的御杣山(みそまやま)の山口でおこなわれるので、祭場は定まっているのです。

 

宮殿建築について、先ず山口の神又は山の神を祭って御料材を採られることは、上古からの風習で、その昔、大和朝廷のころには、六カ所【飛鳥、石寸、忍坂、長谷、畝火、耳無】の山口祭が執り行われてたという記録があります。

 

新宮の建築にはその御杣である卜食山の山神を祭ったのでした。・・・それで、この祭りは諸祭中最も古き由緒があり、その日時は天皇陛下の御治定(ごじじょう)を賜わることになっているのであります

 

 

 

祭式

 

 

当日祭主以下造神宮使皆参集して、先ず正宮に詣で、中重の版について、奉拝を行った後、五丈殿の座について、饗膳の式を行います。

 

饗膳をいただくのは、造神宮使が当度初の参向であるので、その事始めの意味があるのです。

 

次いで、祭員である神官と童男、造神宮使庁の職員が山口祭場に参向して、祭場を清め、神饌忌物を供して山口の神を祭り、草木刈始の行事を童男の奉仕をもって行うのであります。

 

 

祭場には四方と中央に五色の幣を立て、神饌案の下に予め生贄(いきにえ)の鶏を置いて、忌物を供する、等々、普段の祭りとは著しく趣を異にするようです。

 

半尻姿の童男の行事があるのも、  山の神、地の神などを祭る古風の祭りならではと言えましょう。

 

 

 

 

 

 古式ゆかしい祭儀がいよいよ始まりました。

 

はるか太古の昔、神話の時代から日本人はこのような祭儀を物事の中心に置いて一つ一つ、日常にけじめをつけ、払い清めを重ねながら毎日を暮らしてきたのです。

 

怪しげなカルト教団、コザカしい思想集団、おかしな価値観を押し付けるだけの宗教儀礼、嘘っぱちの禁忌習慣、・・・・・現代に渦巻くネガティブなどとは全く次元を異にした

日本人本来の本物の生き方が垣間見える様です。

 

おそらく 宗教などまったく存在しない太古の昔から、ずーーーっと変わらずに続けられてきたのでありましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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伊勢神宮奉納記念展  その5

2013/04/29 13:04

 

遷宮行事中最重要な儀式である【遷御の儀】・・・・・・・
に先立つ最初の儀式は【山口祭】

前回の第61回式年遷宮では、
【遷御の儀】は平成5年10月でしたが、
【山口祭】は昭和59年5月。
・・・・・・・・一連の儀式のスタートです!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 御造営用材を伐採する御杣山(みそまやま)の山の口に坐す神を祭る。

・・・ので【山口祭】

 

 

 

 

 

【山口祭】は大小33ある式年遷宮儀式の最初!

遷宮に用いられる御用材の伐採と作業の安全を祈る祭り・・・
古例のまま皇大神宮(内宮)は神路山。豊受大神宮(外宮)は高倉山の山麓で行われます。

 

 

 

 

 

 

 

 

御正宮以下すべての新宮御造営のための木材を調達しなければなりません。

 

 

 

 

 

 

 

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伊勢神宮奉納記念展  その4

2013/04/28 12:47

 

 

 

 

 

 

 

 

航空写真は不敬?
と言われる向きもありましょうが・・・

東西両御敷地に新旧の神殿が並んだ珍しい写真です。

【遷御の儀】(せんぎょのぎ) の後に旧宮は解体され、主な御柱が、宇治橋に立つ大鳥居の用材として再利用されるんです!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コチラは
先の第61回伊勢神宮式年遷宮の御聴許。

昭和天皇による来る第61回式年遷宮開始の御認証といいますか・・
平成5年の式年をめざして遷宮の御準備は10年も前から始まるのですね。
日付は昭和59年四月です。
足掛け10年に及ぶ式年遷宮のスタート!

翌五月には山口祭という最初の儀式が行われました。

 

 

 

 

 

 

 

今年2月25日、
神宮遷御の儀を行う日時について、

天皇陛下の御治定(ごじじょう)を受けたとの発表がありました。

遷宮行事中最重要な儀式である【遷御の儀】の日時は、天皇陛下がお定めになる習わしであり、内宮では10月2日。外宮では10月5日。何れも午後8時から営まれることになりました。

この写真は第61回式年遷宮における遷御の儀の折ものです

 

 

 

 

 

 

 

 

 第61回式年遷宮は、平成5年10月2日、午後8時。

明かりはすべて閉ざされ、浄闇のしじまの中、

新たな蘇り・・・・・

新宮に御遷り賜りました・・・・

 

 

 



常に新しく、という常若の心そのままに・・・

 

 

 

 

 

 

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伊勢神宮奉納記念展  その3

2013/04/27 12:33

 

 

 

なにごとのおはしますかはしらねどもかたじけなさに涙こぼるる
西行・・・・


西行が歌った伊勢神宮御参拝の感動です。今を去ること約800年。・・・・・・
21世紀の今日にも、西行と同じ心を共有する日本人は数え切れないことでありましょう・・・・

ギリシャのパルテノン神殿とは大違い。伊勢神宮は過去の遺跡でもなければ廃墟でもない・・・・今まさに人々の祈りに守られている活きた神域。これからの未来にも、そうであり続けることでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皇大神宮を内宮と言い、豊受大神宮を外宮とお呼びします。

内宮と外宮とを合わせて、両正宮と呼ぶことも・・・

他に14の別宮があり、さらに109社の摂社、末社・・・があり
全部で125社。

 



このすべてのお社が御遷宮されるのです。


東西隣り合わせた二つの御敷地があり、20年に一度新しい宮に・・・・

 

 

 

御遷宮の最重要祭儀こそ【遷御の儀】(せんぎょのぎ)です。

御神体を旧殿より新殿へ御遷し参らせる儀式です。

現在もそのための工事、儀式が続けられており、内宮の新しい御敷地にはもう清清しい新社の千木鰹木が・・・

ちょっとのぞき見ることが出来ます!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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