
平家物語の悲哀。
田舎者の坂東武者によって日本文化が蹴散らされてしまった事への哀歌が謡曲として・・・
≪勝者の歴史≫、に物申す、・・・世阿弥の真骨頂を・・・
第41回桃々会拝見しました。
関根祥六師による【景清】
それは素晴らしい芸の力でした・・・
世阿弥がいたら、黙って、うなづいたでしょう!
★★★
【大佛供養】というお能でも、若き日の景清が描かれています。
平家が滅んで間もなく、政権を握った頼朝が、奈良の大仏の開眼供養に詣でる、という情報を得た景清は、奈良に住む母の元を訪れた後に、単身で、頼朝を討とうと・・・・・
既に滅んだ平家の為、“無駄死に”、の様であるのに・・・勇者悪七兵衛景清は、頼朝を執拗に付け狙うのでした。
しかし、とうとう捕まって遠流。
宮崎へ流され、年老いて、盲目となったところから、謡曲【景清】が始まるのです。
【大佛供養】と、【景清】と、二段構えで、歴史の真実を謡おうとした世阿弥。
敗者の側に立つ、というモノノフの心そのままに・・・
消えぬ便りも風なれば。消えぬ便りも風なれば。
露の身如何になりぬらん
人丸、と言う名の景清の娘が、老いた流浪の父を慕って、鎌倉から日向の国、宮崎へ、・・・・・
相模の国を立ち出でて。
誰に行方を遠江 げに遠き江に旅舟の。
三河に渡す八橋の。雲居の都何時かさて仮寝の夢に。
馴れて見ん仮寝の夢に馴れて見ん
宮崎に着いて、ある藁屋に居る盲目の乞食に景清のことを尋ねると、知らぬと答える。そこで今度は里人に尋ねると、先の乞食が父であるということがわかる・・・
有名な、松門の出・・・・・・
松門独り閉じて年月を送り。
みずから清光を見ざれば。時の移るをも。弁えず。
暗々たる庵室に徒に眠り。衣寒暖に与えざれば。
膚はギョウ骨と衰えたり
見る影もナク老いさらばえたわが身・・・・遠路はるばる訪れてきた娘に・・・・流刑者の身であるし
・・・・自分であることを、子の為を思って隠そうとするのですね。
声をば聞けど面影を見ぬ盲目ぞ悲しき。
名乗らで過ぎし心こそなかなか親の絆なれ
なかなか親の絆なれ
景清は両眼盲ひましまして。せん方なさに髪をおろし。
日向の勾当と名を附き給ひ。命をば旅人を頼み。
我等如きものの憐れみを以って身命を御つぎそうろうが
昔に引きかえたる御有様を恥じ申されて。
御名乗りなきと推量申してそうろう。
里人は、父に会いたがっている人丸を哀れに思い、連れて来て景清に対面させると、景清も今度は拒む事もナク、心中を明かします。
乞われるままに屋島の戦いでの武勇の思い出を語り・・・
一門の舟の中。一門の舟の中に肩をならべ膝を組みて。
所狭く澄む月の景清は誰よりも御座舟になくてかなふまじ。
一類その以下武略さまざまに多けれど。
名を取り舵の舟に乗せ。主従隔てなかりしは。
さも羨まれたりし身の。
麒麟も老いぬれば駑馬に劣るが如くなり。
いでその頃は寿永三年三月下旬の事なりしに。
平家は舟源氏は陸。
両陣を海岸に張って。互いに勝負を決せんと欲す。
能登の守教経宣ふよう。(のりつねのたまうよう)
去年播磨の室山。備中の水島鵯越に至まで。
一度も味方の利無かつし事。
偏に義経が謀計いみじきに因ってなり。
如何にもして九郎を討たん。謀計こそあらまほしけれと宣へば
景清心に思ふやう。
判官なればとて鬼神にてもあらばこそ。
命を捨てば易かりなんと思ひ。
教経に最後の暇乞ひ。陸に上がれば源氏の兵。
あますまじとて駈け向かふ・・・・・・・・・
語り終えて、娘、人丸に、我が亡き後の回向を頼み、故郷へ帰らせたのでした。
勇者の悲惨な末路を描く事で、歴史の真実、人の心の普遍性をさり気なく謳うよう、脚色された、名曲。
重習いと言って、相当な熟練を要求される謡であります。
お家元、観世清和師の仕舞、頼政も圧巻!
祥六師の嫡孫、祥丸君の小鍛冶、・・・・春疾風を見る様に鮮烈でした。
モノノフの心・ いつか景清をテーマにして、武者絵を私も描きたいと思います。
by お絵かき爺
太平記と大和絵 その18